自己紹介 | ||||||||
新井仁之 (ARAI Hitoshi) | ||||||||
早稲田大学教育・総合科学学術院教授 | ||||||||
東京大学名誉教授 | ||||||||
学位 | 理学博士 | |||||||
専門 | 応用数学、数理視覚科学、解析学 | |||||||
キーワード | 数学・視覚・脳・画像処理 | |||||||
自己紹介 | ||||||||
1959年横浜生まれ。 | ||||||||
【中高時代】 | ||||||||
1972年に獨協中学・高等学校のドイツ語組に入学。ドイツ語組は吉田松陰の弟子の品川弥二郎や、哲学という訳語を考案した西周らが創立した獨逸学協会学校の流れを汲むクラスで、中学1年からドイツ語が第一外国語でした。 ここでドイツ語を学び、とりわけドイツ語の文法の仕組みの美しさに感動し、ドイツ語文法を熱心に勉強していました。 | ||||||||
しかし、中学2年の秋に獨協を退学。そしてドイツのボンにある Nicolaus Cusanus Gymnasium という中・高校に入学し、約1年そこでドイツ語による教育を受けました。 ドイツでは哲学・認識論を独学で学び始めました。 |
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帰国後、再び獨協に中学3年の秋から編入学しました。中学3年のときにカントの『純粋理性批判』を読み始め、すっかり取憑かれてしまい、この哲学書に没頭しました。『純粋理性批判』は中学生の私にとって、人の認識を論理的に解き明かそうとする新しい壮大な世界でした。こういったこともあって中学・高校時代は、名誉校長で著名な哲学者の天野貞祐先生(『純粋理性批判』を日本で最初に完訳)、そして校長でかつて東京大学教授だったドイツ文学者の小池辰雄先生から薫陶を受け、哲学・認識論の勉学に専念しました。高校のときには認識論に関する論文を書いたりしていました(未発表)。 このほか、中学3年のときに数学の原田恒久先生のご指導の下、遠山啓著『微分と積分 その思想と方法』(日本評論社)を読みました。原田先生が数名の中学・高校生に対し放課後講義をされ,私もそれに加わっていました。講義は本の前半で終わりましたので,続きは一人で読みました。大学の数学を学んでみると、中学の数学とは全くの別物で、それ自身新鮮で面白く、『微分と積分 その思想と方法』は大学レベルの数学への扉を開いてくれました。ただ当時は哲学・認識論への興味が強く、高校に進級すると結局哲学・認識論の勉学に専心しました。 ところで、数十年後、この本の新版がでるときに出版社から解説を依頼され、新版には私の解説が載っています。中学生の頃は、まさか将来、勉強しているテキストに自分の解説が載るなど想像もしませんでした。現在はちくま学芸文庫から文庫化されていますが、私の解説もそのまま載っています。 |
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【大学時代】 | ||||||||
高校のときは哲学・認識論の勉強に明け暮れていましたが、大学では哲学を研究するために、まず数学を軸に自然系・人文系の勉強をし,それから哲学科に行き、哲学を専攻しようと思っていました。1978年に高校を卒業し、早稲田大学教育学部に進学しました。大学では数学者の和田淳藏先生の研究室で純粋数学(主に多変数複素解析の関数環への応用)を学びました。卒業論文はこの方面の最先端のことまでをまとめ、ささやかながらいくつかのオリジナルな結果も得ました。 数学を勉強するうちに哲学から数学に興味が移り、1982 年に早稲田大学大学院理工学研究科数学専攻の修士課程に進学し、1984年に同博士課程に進みました。大学院では主にブラウン運動と調和解析の交錯領域の研究を行いました。 |
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【大学教員時代】 | ||||||||
1985年に博士課程2年生のとき、早稲田大学教育学部に数学の助手として戻ることになり、教育学部では教員として、理工学研究科では大学院生として過ごしました。 その翌年、1986 年に東北大学理学部の数学科の助手に招かれ、早稲田は中退。仙台に移住し、確率論と微分幾何学と解析学の融合領域の研究を行いました。東北大学では猪狩惺教授の実解析セミナーに参加しました。その間、プリンストン大学数学科客員研究員(受け入れ教授はエリアス・スタイン先生)、東北大学理学部講師、東北大学大学院助教授を経て、 |
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1996 年に東北大学大学院理学研究科の数学の教授となりました。 | ||||||||
1999年に東京大学大学院数理科学研究科の教授に招かれ異動しました。 | ||||||||
東京大学ではある切っ掛けで、脳内で行われる視知覚の情報処理のメカニズムや視覚が起こす錯覚(錯視)の研究を始めました。そして視知覚や錯覚を先端的数学、脳科学、神経科学、知覚心理学、コンピュータ・ビジョンなどを使って総合的に研究し、さらにその成果を実用的な技術に結晶化する新分野 『数理視覚科学』 を提唱、以来その研究を進めています。 | ||||||||
数理視覚科学の研究により、これまでに世界で初めて | ||||||||
*幾何学的錯視の錯視量の自由な制御(新井・新井、2005、2010) | ||||||||
*任意の画像の浮遊錯視画像への変換(特許、新井・新井、2012)、 | ||||||||
*媒体、画像データ(新井・新井、2013) | ||||||||
*スーパーハイブリッド画像関連(特許、新井・新井、2013) | ||||||||
*文字列傾斜錯視の自動生成(特許、新井・新井、2014) | ||||||||
*色の錯視の分析装置(特許、新井・新井、2014) | ||||||||
*新しい画像処理方法(特許、新井・新井、2014) | ||||||||
*ディジタル・フィルタ群の新しい設計方法等(特許、新井・新井、2014) | ||||||||
などに成功しました。 | ||||||||
2018年4月に母校である早稲田大学教育・総合科学学術院に移籍しました。 | ||||||||
受賞歴(受賞年順) | ||||||||
2018年9月 藤原洋数理科学賞大賞 授賞理由:数理視覚科学と非線形画像処理の新展開 受賞者:新井仁之 受賞のことば(日本数学会編『数学通信』2019年2月号より) |
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2014年4月
科学技術団体連合 第8回科学技術の「美」パネル展 優秀賞 作品名「花が動いて見える錯視 - 数学が産み出す錯視アート」 受賞者:新井仁之、新井しのぶ |
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2013年9月
日本応用数理学会 日本応用数理学会論文賞 (JJIAM部門) 論文名「Framelet analysis of some geometrical illusions.」 受賞者:新井仁之、新井しのぶ 詳しくはこちら(日本応用数理学会HPより) |
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1995年8月 Featured Review タイトル:Hitoshi Arai, Degenerate elliptic operators, Hardy spaces and diffusions on strongly pseudoconvex domains, Tohoku Math. J. (1994), pp.469-498. (95h:46034) 【説明】Featured Review は,Mathematical Reviews誌(アメリカ数学会)により世界中の数理系学術誌に掲載された論文から outstanding paper として選ばれたものです. |
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Featured Reviews in Mathematical Reviews 1995-1996: Reviews of Outstanding Recent Books and Papers | ||||||||
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【 コラム ギフテッド教育について 】 | ||||||||
日本でもギフテッドと呼ばれる生徒に対するギフテッド教育が注目されつつあります。文部科学省がギフテッドの教育の支援に乗り出したとの報道もありました。今から思えば、45年以上前に中学・高校で哲学や数学のギフテッド教育の一種かそれに類するものを受けていたと言えるのかもしれません。ただし私にはギフテッドと言われるような特別な才能はなく、ギフテッドではありません。普通の教育も通常どおり受けていたので、ギフテッド教育との折衷型でした。 もちろん当時のことですから学校にギフテッド教育のシステムがあったわけではありません。それはきっちりとシステム化されたものではなく、教員が好意的に行なってくれた、柔軟性のあるカスタムメードのギフテッド教育であったと言えるでしょう。45年以上前の日本に於ける中学校・高等学校のギフテッド教育の一つの事例ではないかとも考えられます。 |
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最近、ギフテッド教育の失敗事例やデメリットが報告されています。上記のものが今でいうギフテッド教育かどうかは不明です。というのは教育自体はギフテッド教育とも言えるかもしれませんが、おそらく先生は特別な生徒への教育とは感じていなかったのではないかと推察されます。しかし、私自身にとってはカリキュラムにはない自分の興味あることを学べ、また先生方は私のつたない話を一蹴せず聞いてくださり、アドバイスをしていただけるなど、とてもありがたいものでした。このときの認識論・哲学の勉強が、数十年後に始めた数理視覚科学を研究する下地の一つになっていることは確かです。その意味では、結果的にはこのギフテッド教育はうまくいったと考えられます。 理想論を言えば、通常の授業では学べないことを学びたい生徒に、生徒の個々の諸状況に合わせたカスタムメードで教え、優れた能力の部分を育てられると良いわけです。ギフテッド教育については、2Eの問題や通常クラスでの疎外・いじめなどいろいろ課題が多いのですが、私が言うまでもなく、今後もあきらめずに様々な研究・実践を重ね、犠牲になる生徒を出さないように実施していくことが望ましいでしょう。 理想目標は「たまたま良い先生・環境に出会った」を「必要な場合に良い先生・環境に出会える」にすることです。ここでよい先生とは、生徒が興味をもった分野の専門知識をもち、ギフテッドに理解のある人を意味します。 |
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私に関する記事 | ||||||||
数学まなびはじめ第1集 日本評論社 2006 | ||||||||
38歳のときに雑誌「数学のたのしみ」(日本評論社)から依頼されて執筆した自叙伝(前掲誌1998年6月号に掲載)が再掲されてます。 | ||||||||
輝数遇数 数学者訪問 新井仁之 | ||||||||
『現代数学』(2023年6月号)に掲載 | ||||||||
有名な翻訳家の冨永星さんが、私の生い立ち、特に「数学まなびはじめ」以降のことを書いてくださった記事です。写真はカメラマンの河野裕昭さん。 | ||||||||
外部リンク | ||||||||
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