錯視 | カフェウォール錯視 | 幾何学的錯視 | フレーザー錯視 ミュンスターベルク錯視 | |||||
錯視の科学館 | ||||||||
幾何学的錯視の構造の解明 (1) | ||||||||
カフェウォール錯視と傾き錯視 | ||||||||
- カフェウォール錯視など傾き錯視の構造を数学的に解明する - | ||||||||
2010年12月16日(改訂稿) | ||||||||
2015年12月9日(改訂稿) | ||||||||
東京大学大学院数理科学研究科 新井仁之 | ||||||||
(注:2018 より早稲田大学に移籍) | ||||||||
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概要 幾何学的錯視の一つに傾き錯視があります.ここではまず傾き錯視の代表例の一つであるカフェウォール錯視のメカニズムを解析します.特にカフェウォール錯視とフレーザーのねじれ紐の関連が明確になると思います. さらにその他の傾き錯視についても同様の解析を行います.本ページは筆者の論文 [1],[2]で得られた結果の解説です. | ||||||||
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1. カフェウォール錯視 | ||||||||
次の図をご覧ください.水平方向にグレーの線がありますが,これらは互い違いに傾いているように見えます.しかしそのように見えるのは錯覚で,実際は平行に配置されているのです. これを「カフェウォール錯視」といいます. | ||||||||
カフェウォール錯視 (Gregory-Heard, Fraser) | ||||||||
カフェウォールというのはカフェの壁という意味です.なぜこんな名前がついているのかというと,このデザインがブリストルのカフェの壁にあったことによります.そのカフェの写真はカフェウォール錯視に関する古典的な論文 | ||||||||
{GH] R. L. Gregory and P. Heard, Border locking and the Cafe Wall illusion, Perception, 8 (1979),365-380 | ||||||||
に掲載されているので,興味のある方はご覧ください: | ||||||||
http://www.richardgregory.org/papers/cafe_wall/cafe-wall_p1.htm (Gregory氏のHP) | ||||||||
なお,カフェウォール錯視の第一発見者はグレゴリーではありません.次節にあるようにフレーザーがそれより以前に論じています(北岡『錯視入門』参照).しかし,さらにそれ以前にある気象学者により報告されていることが,新井・新井の調査により発見されました.詳しくは下記の論文 | ||||||||
新井仁之・新井しのぶ『テンプル・ウォール錯視からカフェ・ウォール錯視へ - カフェ・ウォール・タイプの錯視は1893年に発見されていた- From the Temple Wall Illusion to the Cafe Wall Illusion - A Cafe Wall type illusion was discovered already in 1893 - 』 | ||||||||
をご覧ください. | ||||||||
さて,本題に戻り,次の問題について論ずることにしましょう. | ||||||||
カフェウォール錯視はどのようなことが要因で起こるのでしょうか? | ||||||||
2. カフェウォール錯視とフレーザー錯視 | ||||||||
Gregoryらの論文が出版される70年前,J. Fraserという人が傾き錯視や渦巻き錯視に関する論文 | ||||||||
[F] J. Fraser, A new visual illusion of direction, British J. Psychology 2 (1908), 307-320. | ||||||||
を発表しました.この中でFraserはミュンスターベルグ錯視 (カフェウォール錯視画像のグレーの水平線を黒いタイルと同じ黒にしたも) と次に図示するフレーザー錯視との関連を指摘しています.(なおこの論文中で、フレーザーは水平線がグレーの場合、すなわちカフェウォール錯視についてもすでに論じています。) | ||||||||
注:左図はFraserの論文の図そのものではなく,北岡明佳氏によるデザインに基づいてMatlabを使って作画したものです. | ||||||||
フレーザー錯視 (Fraser) | ||||||||
水平に並んでいるねじれた紐のようなデザインが傾いて見えていると思います.しかし実際にはそれは平行に配列されています. 紐の周りに飾りがついてますが,これを取り去ると次のようになります. | ||||||||
飾りなしのフレーザー錯視(Fraser) | ||||||||
ミュンスターベルグ錯視あるいはカフェウォール錯視と,このねじれ紐の錯視とはどのような関係があるのでしょうか.ここでは触れませんが,Fraserの論文では,その関係を図示する図版が記されています.じつは興味深いことは,Fraserの論文からおよそ80年後に現れたMorganとMouldenの次の論文で示されたことです. | ||||||||
[MM] M.J.Morgan and B. Moulden, The Munsterberg figure and twisted cords, Vision Res. 26 (1986), 1793-1800 | ||||||||
この論文で,MorganとMouldenは,ある帯域通過フィルタ でカフェウォール錯視画像をフィルタリングするとねじれ紐状のパターンが現れることを示したのです. | ||||||||
ここで問題が生じます.確かに帯域通過フィルタによるフィルタリングでねじれ紐状のパターンが現れますが,それでは, | ||||||||
このねじれ紐状のパターンが本当にカフェウォール錯視の原因になっているのでしょうか? | ||||||||
3. カフェウォール錯視とねじれ紐状のパターン (新井・新井[1]) | ||||||||
筆者らはカフェウォール錯視図形を双直交ウェーブレットに最大重複法を組み合わせて解析してみました. 結果は下の表のようになりました. | ||||||||
図1 | ||||||||
図1の説明をいたします,まずカフェウォール錯視を双直交ウェーブレットによる最大重複多重解像度分解します.双直交ウェーブレットと最大重複多重解像度分解については非専門家向けの解説を別に予定してますが,専門家向けには拙著『ウェーブレット』(共立出版)に詳しい説明が記されています.大雑把にいうと,画像を | ||||||||
レベル(解像度) 方向 | ||||||||
の二つの特性に分解します.レベルが大きくなるごとに次第に画像の大まかな部分が抽出されます.各レベルは,近似部分と3つの詳細部分,すなわち水平,垂直,対角部分に分解されます. | ||||||||
カフェウォール錯視画像を,レベル7まで分解し,図1の2行目の図はそのうちレベル2,3,4の水平成分を載せてあります.最大重複ウェーブレット分解を見ると,確かにねじれ紐状のパターンがカフェウォール錯視画像に含まれていることがわかります. | ||||||||
図1の3行目の左側の図がレベル2,3,4の水平部分を加算したものです.この部分のデータがじつは錯視の本質を含んでいるのです.このことを証明するために,レベル2,3,4を含まない成分を加算してみましょう.カフェウォール画像に近い図でありながら,ここには平行線が傾むいて見える錯視は発生していません. | ||||||||
最大重複ウェーブレット分解は,分解したデータをすべて加算すると元のデータと完全に一致するという完全再構成性をもつので,結局,ねじれ紐状のパターンを含むレベル2,3,4に錯視の要因があることが数学的に示されたことになります. | ||||||||
3. その他の傾き錯視とねじれ紐状のパターン (新井・新井[1]) | ||||||||
カフェウォール錯視以外の傾き錯視については,どのようになるでしょうか.いろいろな錯視を試してみましたが,どれもレベル2,3,4の水平成分に錯視の要因が含まれていることがわかりました.その例として,ここでは北岡明佳氏による市松模様の錯視と水路の錯視に関する解析結果を述べます. | ||||||||
まず北岡氏の市松模様錯視の解析から始めます. 市松模様錯視は水平の線と垂直の線がともに傾いて見える錯視です.ここでは水平方向の錯視要因の除去をしました.すると,原画像の市松模様はほとんど残っているにもかかわらず水平方向の錯視は確かに除去されています.ただし縦方向の錯視成分には操作を加えていないので,垂直方向の錯視は残ったままとなります (図2の3行目中央の図参照). | ||||||||
図2 | ||||||||
次に北岡氏の水路の錯視も解析してみましょう.この場合もねじれ紐状のパターンが錯視のレベル2,3,4の水平成分にあり,それが錯視の要因になっていることが数学的に示されました. | ||||||||
図3 | ||||||||
4. 視覚の大域的情報処理とカフェウォール錯視 (Arai [2]) | ||||||||
視覚系は,ニューロンの受容野による局所的な情報処理のほかに,たとえば大脳皮質V1野などでは,ニューロンの水平結合による大域的な情報処理も行っています.その一つに次のような情報処理があります. | ||||||||
周囲に大きなコントラストの刺激がある場合は,弱いコントラストの刺激は抑制され, 周囲にコントラストの大きな刺激がない場合は,弱いコントラストの刺激は強調される. | ←これを「コントラスト知覚の法則」と呼ぶことにします | |||||||
このようなことが実際に視覚で起きていることを示す新しい錯視,ならびにこの情報処理の数理モデル化については参考文献のArai[2]を参照してください. | ||||||||
この大域的処理がカフェウォール錯視の視覚情報処理にどのような影響を与えているのかを調べることにしましょう. | ||||||||
このために Gregoryらが発見した次の現象に着目します.彼らは上掲の論文 {GH]においてカフェウォール錯視の水平線について,次のようなことを指摘しました. | ||||||||
@ 水平線の色がカフェウォール画像にある黒いタイルより黒いか,あるい は白いタイルより白いと錯視がなくなる. | ||||||||
A 水平線の太さが太いと錯視がなくなる. | ||||||||
まず @ の解析から始めます.図4左が水平の線を黒いタイルより黒くした図で,図4右はカフェウォール錯視画像です.確かに図4左では傾きの錯視が起こっていないことがわかります. | ||||||||
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図4 | ||||||||
そこで図4左の画像の最大重複ウェーブレットによる分解のうち,いくつかの水平部分を見ることにしましょう.. | ||||||||
図5 | ||||||||
これらをねじれ紐のパターンとしては不十分なものと考えられます.たとえば間が寸断されています.大域的処理でどのような情報が計算されるのかを抽出すると図6のようになります. | ||||||||
図6 | ||||||||
図6右がカフェウォール錯視画像の場合です.非線形処理によっても細いねじれ紐状のパターンが現れます.一方,水平線が黒いタイルより黒い場合が図6左で,この場合,ねじれ紐状のパターンは明らかに現れません.なおこれは純粋に大域的情報処理のみによる効果を抜き出したものです.したがって,このようなパターンが原画像にうっすらと見えていることになりますが,実際に原画像をよく見るとそのことが確認できます. | ||||||||
次にAについて解析しますが,これにより大域的処理の数理モデルから非常に興味深いことが明らかになります. | ||||||||
Earle and Maskell (1993) によると,カフェウォール錯視の水平の灰色の線幅を広くすると,見かけの傾きが逆になります.さらにこの論文には,審査員の指摘ということで,ねじれ紐状の明暗現象が水平の灰色の帯の中に現れており,それはフレーザーのねじれ紐と逆方向になっていて,タイルのエッジを含まないと記されています.この現象はじつは,私がモデル化した大域的情報処理によって起こることが計算により示すことができるのです!図6をご覧ください. |
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図6 | ||||||||
図6右が原画像,図6左が大域的処理による計算結果を抽出したものです.確かに大域的処理で逆方向のねじれ紐が計算されていることがわかります.これが上記の現象が発生するメカニズムです. | ||||||||
以上述べてきたように,数学を駆使すれば,錯視に対してこれまでとは違ったタイプの新しい解析を行うことができます. | ||||||||
数学的な説明など,詳しいことは下記の論文,新井・新井[1] とArai [2] にありますので,どうぞご覧ください.さらにウェーブレットを進化させた「かざぐるまフレームレット」(新井・新井)による幾何学的錯視の解析については,新井・新井[3],[4]を参照. | ||||||||
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参考文献 | ||||||||
[1] 新井仁之,新井しのぶ,ウェーブレット分解で見る,ある種の傾き錯視における類似性,VISION, J. Vision Soc. of Japan, 17 (2005), 259-265. | ||||||||
[2] H. Arai, A nonlinear model of visual information processing based on discrete maximal overlap wavelet,Interdisciplinary Information Sciences 11 (2005), pp. 177-190. | ||||||||
追加文献(2015/12/9) | ||||||||
[3] 新井仁之,新井しのぶ,錯視の数理モデルと錯視図形の構造解析,Japanese Psychological Review, vol. 55, no. 3, pp. 309-333 (2012). | ||||||||
[4] H. Arai and S. Arai, Framelet analysis of some geometrical illusions, Japan. J. Indust. Appl. Math. vol. 27, no. 1, pp. 23-46 (2010). | ||||||||
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